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[チャンス大城さん](下)酒癖悪く、千原せいじさんから「もう飲むな」…断酒して6年「人間として精度を上げています」 - 読売新聞オンライン

 チャンス大城さんは、所属事務所もない「地下芸人」として、売れない時代が続きました。酒に逃げ、酒癖の悪さで失敗もしたとか。断酒をして6年。吸い殻拾いやコンビニのトイレ掃除をしていると、運が向いてきたといいます。(聞き手・斎藤雄介、撮影・小倉和徳)

「樹海に行くか、西口プロレスに行くか」

[チャンス大城さん](下)どん底で死神?を見た男…「酒を断って6年、運が向いてきた」

――漫才師になろうと決意されたのは、何歳ごろですか。

 高校を卒業して工場に勤めたあと、漫才師になろうと決意して上京しました。1998年、23歳になっていました。芸能事務所に入って、コンビ名は「右心臓800」。

 でも、人間関係でいろいろあって、うつ状態になってしまいました。飯が食えなくなって、体も動かなくなった。

 お笑いプロレスの「西口プロレス」の試合が決まっていて、阿佐ヶ谷駅近くの自動販売機の前で悩んでました。今から、富士の樹海に行くか、西口プロレスに行くか。やっぱプロレスを終わらそうと思いました。で、会場に行きました。

 お笑いプロレスなんで、段取りが全部決まっているんですが、覚えられないんですよね。ご飯を食べてないから、脳に栄養が行ってないみたいで。

 リハーサルはボロボロで、後輩がヘッドロックしたときに、耳元で次の展開をささやいてくれることになりました。

 最後の力を振り絞って、試合をしている感じでしたね。ぼくが勝つ段取りだったんですよ。勝ってベルトもらって、帰ろうとしたら、後輩が乱入してきて、「おい、チャンス。来月、そのベルトかけて、おれと勝負だ」ってマイクで叫びました。

 「おれは明日、樹海に行って死ぬんだ。来月、おれはこの世にいないんだよ。試合はできねえ」

 言い返したら、ドッカーンってウケました。チャンス大城って予測不能なボケをするなって。でも、ぼくは真剣だったんですよ。

 プロレスが終わって、「樹海ってどうやって行ったらいいんだろう」と思って、自宅に帰って寝ていました。当時、妻もいて、まだ赤ちゃんの子供もいました。

 そうしたら、台所に黒い3人組の男が現れて……ぼくは死神だなと思いました。ぼくの体から、漢方薬というか、正露丸のようなにおいがしてきた。死の予告だと思ったんですよ。かっこ悪いことして死にそうなやつを、死神が探しているんだろうと。おれ、地獄行きだ……。

 そうしたら、隣の赤ちゃんがぼくに手を伸ばしてきた。ぼくは赤ちゃんの指を握って、1歳になるか、ならないかの子にすがっていました。

 朝日がさしてきて、一瞬だけど、骸骨が見えて、さっと消えました。幻覚だったのかなと思ったら、まだ体からプンプンと正露丸のにおいがします。

 そこで、風呂に入って、体を洗って、心療内科に行ったんです。はあ、はあ息しながら、やっとの思いで。

 めがねをかけた若い先生でした。

 「どうしました?」と言われて、お話ししました。人間関係で悩んでいることとか、死神を見たとか体からにおいがするとか。

 「自律神経失調症ですね。お薬を出しましょう。この薬は2週間後に効いてきます」

 「何で2週間後やねん、すぐ効くやつを頼みますわ」

 すると、先生がぼくの手を握って、

 「大城さん、約束してください。絶対、電車のホームとかマンションの屋上とかから、飛び降りないでください。約束してください」

 「はい。わかりました。約束します」

 で、薬をもらって、トラブルになっていた相手の人に謝りにいったんです。そうしたら、許してくれました。

 この辺、記憶が定かではないんですが、2週間後かな、子供を保育園に届けるときに、勝手に笑いが出てきました。薬が効いてきたと思いました。

 それで、体が楽になって。ご飯を食べてみようと思って新宿・歌舞伎町の店に入って定食を頼みました。全部、食べられた。泣きながら食べたので、店員さんが引いていましたね。

――その死神とか正露丸のにおいとか、夢か幻覚ですよね。

 わからないです。今でもなんか本当のような感じがするんですよ。

地下芸人で話芸を磨く

――その後、2009年に事務所をやめてフリーになるんですね。

 ビラ配りやティッシュ配りのバイトをしながら、地下芸人として、ちっちゃな場所でお笑いライブをやっていました。妻と離婚し、子供とも別れました。申し訳ないことをしました。本当に何もわかってない、いいかげんなやつでした。酒ばっか飲んでね。酒に逃げてたな。

――地下芸人の時代はつらかったですか。

 舞台に立つのは楽しかったですよ。でも、ばかにされ続けるのはつらかったですね。おまえ売れてないな、みたいな。バイト行って、年下の上司に「芸人やってんねや。なんかおもろいこと言うてみろや」と言われたり。お金もなくてね。ボロボロのシャツのまま舞台立って。衣装という考えが出てきたのは最近ですね。お酒飲んで、テレビでは言えないような最低の漫談ばかりやっていました。

 でも、漫才コンビ「米粒写経」の 居島(おりしま) 一平さんのやっている漫談ライブに出て、話芸は鍛えられました。居島さんは恩人です。

 一人芸の日本一を決める「R―1グランプリ2024」で優勝した街裏ぴんくさんも、そのライブで腕を磨いていて、ぼくはずっとライバルだと思っていました。

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